日本女性2015倉敷

街のあちこちに、日本女性会議2015倉敷、のピンクの旗が立っていました。倉敷市長は40代後半の女性市長、現在2期目で、1期目の時は最年少市長と言われたそうです。

メイン会場の倉敷市民会館には16台のバスが止まっていました。私たちも12人でバスで行きました。

私は10月9日、5時半に起き、7時に家を出て川島へ着いたのが8時半、そこからバスで徳島・鳴門を回って、倉敷に着いたのが11時半、食事をしてメイン会場に着いたのが12時半でした。

日本女性会議は1984年名古屋で始まり、今回が32回目だそうです。一昨年には阿南市で行われました。来年は秋田、再来年は苫小牧市に決まっています。夕方、会場を出る時には「白壁の町2000人集う」という山陽新聞の号外をいただきました。

内容は盛りだくさんでした。1日目は、内閣府男女共同参画局長「女性が輝く社会を目指して」我が国の現状となぜ女性の活躍が重要か、政府の取り組みと成果、などの説明や、武内陶子さん上田紀行さん夫妻による講演、倉敷天領太鼓のアトラクションなどがありました。

2日目は、10の分科会に分かれて講演やパネルディスカッションが行われました。私は「ひとり親家庭と貧困」の分科会を選び、倉敷市出身の生田武志さんの講演をききました。こどもの里という西成地区の無料で24時間営業の子供の家事業が、橋本市長の補助金カットで危機にあるのだとか。橋本市長は学童保育があるではないか、みんな平等にしなければ、というけれども、学童保育の2万円が払えない子供はどうすればいいのか、と言っていました。生活保護の子供は借金をして大学に行くのだとか。大学を出て就職すると、親の面倒をみよと言われるそうです。600万円の借金を返しながら、親の面倒をみるのは不可能だと言っていました。生活保護をもらっている親は病気だったり、ギャンブル狂だったり、虐待をしていたり、という親が多いそうです。貧困の連鎖を食い止めるために、せめて義務教育の無料化をするべきだと思いました。1950年と比べ、物価は8倍に、国公立大学の学費は148倍に上昇しているとか。

昼食後、「あちゃらけ」というグループのバンド演奏、UN Womenという国連機関の説明、記念シンポジウムなどがあった。コーディネーター岡山大学副学長、沖陽子氏が、雑草防除学、雑草管理学という学問は今まであったが、雑草利用学という学問を私が作ったのだと言っていた。

全て終わった私の感想は、これらすべては平和あってのたまもの、アッという間に崩れることもある、と気を引き締めました。

このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク livedoorクリップ Yahoo!ブックマークに登録

タグ

2015年10月11日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:ブログ

トラックバック&コメント

この投稿のトラックバックURL:

コメントをどうぞ

このページの先頭へ