宗教と人間
自宅のミカン・はっさくです。黄色に色づいたので食べてみました。おいしく食べられました。キーウイと共に少しずつ、木からもぎ取って食べます。仕事をしてお金のあった時よりも豊かだと感じました。
先日の朝日新聞に、「新9条」相次ぐ提案、という記事がありました。憲法9条を現実的なものに変えようという提案です。面白そうな提案をしていますが、信用していません。
何事も めづらしき事を求め 異説を好むは 浅才の人の必ずある事なりとぞ(徒然草)
40歳を過ぎて、大学に行ったころの日記に書いていた。
大学に入る前は、まじめに、社会の善・人間の善を信用していた。しかし、今考えていることは、社会の善や人間の善を超えたものがあるということ。別の善を創造さえする組織の恐ろしさ。
宗教と人間という論文も書いている。
宗教とは人間を支配・管理する最も巧妙な手段である。宗教には2つの種類がある。1つは自己を支配・管理する方法であり、もう1つは他者を支配・管理する方法である。東洋の宗教は前者に近く、西洋の1神教は後者に近い。しかも、西洋の1神教は生まれた時から人間を支配・管理するので、その呪縛から逃れることは不可能に近い。その呪縛から人間を解放したのが、キリストであり、マルクスだった。いかに彼らが偉大だったか理解できる。ところが古い呪縛から解放したはずのキリスト教もマルクス主義も、新しい呪縛として人間を支配・管理するようになった。
いかに、その支配・管理が徹底したものであったかは、宗教によって大帝国を打ち立てたことから明らかである。
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2015年11月11日 | コメント/トラックバック(0) |
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