警察組織
5年くらい前のあんみつ館・河野メリクロンのコチョウランです。
図書館で借りてきて、番犬の流儀、東京新聞記者・市川隆太の仕事、2015年7月14日発行を読みました。
私は約30年間の記者生活の大半、警察や法務、検察、その周辺を取材してきた。大した記者でないことは自覚しているが、捜査機関の怖さは、よく知っているつもりだ。日本の捜査機関は、ある意味、非情に優秀だ。はっきりいって、ターゲットを決めたら、どんな手を使ってでも事件にする能力がある。それなのに「大丈夫」と言い切るメディア関係者がいる。なんとお人好しな、なんと能天気な。村木厚子さんを知らないのか、志布志事件を忘れたのか、免田栄さんの話をきいたことがないのか。
富士正晴氏の「崔長英」という作品に、わたしたちの馬屋の近くの1軒の民家で赤い木綿糸が盗まれたという事件がおきる。訴えは日本兵であったかもしれないが、犯人は苦力でなくてはならぬのである。日本兵なら軍法会議がある。苦力ならそんなものはない。それに、犯人なんか別にわからんでもいいのだが、いちおう発見することはやっておかねばならん。
そういう記述がある。苦力とは中国人の労働者である。ここで、日本の将棋と西洋のチェスの違いを発見する。実際に日本では取った駒は味方として利用していたのである。
犯人なんか別にわからんでもいいのだが、いちおう発見することはやっておかねばならん。こういう姿勢は戦前・戦後一貫していて、これが冤罪につながった。そして、冤罪を悪いとも思っていない。
今日はユーチューブで「逮捕の瞬間・警察24時間」を見ました。警察がよくがんばっているのはわかる。小さな事件を見逃さないことが大きな事件を防ぐ手立てとなっているのだろう。開かれた組織にするためにも、警察官の士気を高めるためにも、このような映像や女性警官の採用は良いことだと思う。
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2016年8月23日 | コメント/トラックバック(0) |
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