非暴力的抵抗
7年前に死んだ母親がため込んでいたスプレー缶です。国民生活センターからスプレー缶の調査があったので出してみました。
昔、ある病院に勤務していたころ、探して見つからないものは先輩にきいていた。先輩は自分でさがせ!と怒った。先輩は立場を守り、役目を果たす人、病院はアメリカ式の経営を目指していた。
私は母に「自分で探せ!」とは言わなかったのに、母は私に尋ねもしないで、すぐに買った。だからスプレー缶だけでなくハサミもいくつもある。私が一生かかっても使いきれない量である。
今日、面白いユーチューブを見た。
安富歩氏、題名は原発機器と親鸞ルネサンス、満洲事件と1990年のバブル時代を例にとって、人々の暴走は台風と同じだと喝破した。西洋にも子供が笛吹にぞろぞろとついて行く童話がある。バッタが異常繁殖して作物を食い荒らす様にも似ている。一度動き出すと誰にも止められないのだとか。人々は目の前にある仕事を黙々とこなしただけなのだとか。
原発はなぜ止められないのか、人々が大人だから、原発にガマンしているのだとか。立場を守る人と役目を果たす人、立場を守り役目を果たす人は、何をしても良いのだとか。それが暴走につながるのだとか。
非暴力的抵抗をしたインドのガンジーは、インド人がイギリス人を必要としていると知っていたのだとか。日本人がアメリカ人を必要としている、という今の日本の状況とそっくり同じだと思いませんか。それは魂のレベルでの隷属、人間は喜んで隷属する技術に長けているのだとか。
そう考えると、平和憲法を守る、という行為こそ、ガンジーの非暴力的抵抗だと思いませんか。
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2019年8月12日 | コメント/トラックバック(0) |
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