2勝4敗とは

2勝4敗とは、何の数字だろう。

野球か卓球か、それとも就職試験だろうか。

私の選挙の戦歴である。選挙に初めて出て、もう20年になる。

やっと、民主主義政治とは何か、選挙とはどうするのかが、わかるようになった。

わかるのに20年かかったということでもある。

民主主義が完璧な政治制度とは言えないまでも、民主主義以上に

良い体制があるとも思えない。

しかし、憲法改正が叫ばれており、国の借金が膨大になる中で、

このまま民主主義体制が続くとも思えない。

それでは今後どうすれば良いかということになるが、どうにもならない。

混乱を少しでも先延ばしにする以外に考えられることはない。

混乱の中にあっては、平和憲法があろうとなかろうと、憲法は無視される。

たとえ無視されようと、現行憲法を維持し続けたいというのが、私の立場である。

一時的に混乱はあっても、やがて新しい秩序が回復される。

その時のよりどころに現憲法をしたいという希望を持っている。

20年前の私が知っていることといえば、新聞で得られた知識だけだった。

今のように市報や議会だよりがあったとは思えない。

だから、選挙に出たいとなると衆議院か参議院、市長しか頭になかった。

新聞に出ていることといえば、それだけだったから。

新聞には1年半後に参議院選挙があると書いてあった。

最も近い選挙として、私はそれを目指した。

一度走り出すと、誰が止めても止まらない。

選挙活動をしているときに、市会議員や県会議員の選挙があることを知ったが、

いつあるのか見当もつかない。

だから、私はやり始めたことを最後までやり抜いた。

選挙準備中、新聞社の方には、

「話にならん」

「あなたの考えは社民党に近い。なぜ、接触しないのか」

と言われたが、私にはそのような人脈も接触の方法もわからなかった。

ただやみくもに、一人で走るのみであった。

救いは家族の者が協力してくれたことであろうか。

母はやめろとは言わなかった。

「落ちたらどうする?」

「四国に帰って町会議員の選挙に出る?」

「2年半後にあるけど・・・町会議員ならば供託金もいらないし」

と、言ってくれた。

2年とは長いなあと思ったけれども、あっという間だった。

私の選挙運動の方法は、ビラを配る、電話をする、手紙や葉書を出す、

というものだったが、選挙違反をしているのではないかという不安でいっぱいだった。

選挙公報を読むと、私のしていることは全て違反と書いてある。

それじゃあ、何もできないではないかと思いつつ活動した。

今も同じ選挙方法だが、選挙に出るとは書かないが匂わせる、

お願いしますとは書かないが口で言う、それで良いと知った。

京都で一人参議院戦を戦った後、四国に帰り、町会議員の選挙に出た。

母親と二人、地域を歩いていると、地元の有力者が応援してくれた。

おかげさまで楽に当選できた。

楽に当選できたといっても、いろいろな事があった。

まず、選挙戦の初日に選挙カーのフロントガラスを何者かが割っていた。

選挙戦の最後には、夕飯を支持者たちと食べていると、同じ地区からの候補者が、

いきなり私の手を引っ張って自分の選挙カーに乗せ何かしゃべれと言う。

私は地区の皆さまよろしくお願いしますと言った。

それが気に入らないと私の支持者の一人がごねた。

土下座寸前までいったような気がする。

町会議員としての活動は面白かった。

あれもやりたい、これもやりたい、という夢がふくらんだ。

京都の家も売れ、金もできたので、町長選に出ることを決めた。

そのころは、お祝いずくしだった。

母は勲章をもらう。一人息子は結婚する。家は新築する。

私の習性なのか、どんなに情勢が変わっても、一度決めたことは押し通した。

県会議員の俵氏と丸岡町長との間に挟まれて、町長選は惨敗だったが、

京都での選挙に比べると、苦しい戦いではなかった。

そのころ、マスコミでは「出たい人より、出したい人を」と宣伝されていた。

まるで私が批判されているように感じたが、動じなかった。

俵町長とは2度争った。

3度目もがんばろうと思っていた時、町村合併があった。

周囲の勧めもあり市会議員選挙に出たが、みごと落選した。

4年後に、もう一度市会議員選挙に出て当選、現在の自分がある。

何度も選挙に出られたのは、自分だけの選挙だったからだろうと思う。

出したい人が出たのでは、負けたら1回きりで終わりである。

いつも、一人で走っていた。一人で走っていても、誰か彼か協力してくれた。

新しい人脈ができ、新しい友ができる。それが選挙の面白さである。

いつも遠くに敵を見ていた。近くの敵は敵でなかった。

近くの敵は、敵になったり、味方になったりした。

人は使われ方次第で、敵にもなるし、味方にもなる。

人は使われ方次第で、悪くもなるし、良くもなる。

選挙戦を戦い続けて得た私の信念と教訓である。

政治家なんて、使い捨てですよ、ある市長の言葉がわかるまでに20年かかったが、

それでも民主主義を諦めない。



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2013年11月1日 | コメント/トラックバック(0) |

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