萎縮かな
漆川八幡からお寺へ行く道路です。こんな道路は三好市にいくつもありますが、ここを車で通るのは非常に怖い。頑丈なガードレールでなくてもよいから、車から見えるポールを道路の端につけてほしいと市にお願いしたのだけれども、できなかった。奥の方にはガードレールが見えますが、ここだけないのです。4月にはネハンでここを通らねばなりません。
昨夜のテレビでウクライナ問題について、ドイツ人の学者がなぜ戦争になったのかわからないと言うのです。ギリシャ問題では、ギリシャはソ連に近づく恐れがあるというのには笑ってしまいました。そこまで考えてギリシャ支援をしているのだと、改めて国際社会の神経過敏に驚きました。
ウクライナ問題は日本の北朝鮮問題を連想しました。北朝鮮も日本にとってわからない国、同様に駆け引きをする個人も、私にとってわからない行動をします。しかし、武力や経済制裁で相手をねじ伏せるという考えには同調できません。
フランケンシュタインを読むというテレビ番組も面白かった。純粋無垢な個体が恐怖と差別によって怪物へと成長する物語だとか。イスラム国、ソ連、北朝鮮、みな同じではないかと思うのですが。どのような怪物とも常に対話の姿勢を崩さないことが必要だと思います。メルケル首相にはがんばってほしい。
今日の朝日新聞、声欄に「貧乏旅行 姿見ぬ日本の若者」という投書が出ていました。旅行だけではなく、留学も日本の若者は少ないという話をきいています。日本は管理社会だからではないかと思います。親は子を、国は国民を管理し過ぎるからではないかと思います。ちょっと、はみ出すと叩かれる。だから萎縮してしまっている。日本でだめなら外国で、という発想も少ない。しかし、子を外国に送る親にも、ある種の覚悟が必要なんです。
インターネットでバイク旅行を見ました。テレビよりも、余計な事をしゃべらない分、ストレスが少ない。外国に行かなくても、日本にも良いところはたくさんある。日本が膨張しているときには外国にも行くが、縮小しているときには、行かないということかもしれない。
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2015年2月12日 | コメント/トラックバック(0) |
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