米国の価値観

近くにこんな大きな栗の木がありました。今まで知らなかった。2階のベランダから撮った写真です。栗の実の落ちるころに、行ってみようかなと思っています。

今日の朝日新聞に、久しぶりに面白い記事があった。再び日米関係を考えるきっかけとなった。

1つは、親米改憲と反米護憲、それは違うでしょうと言いたい。内容は支持するが、護憲派を反米とは決めつけないでほしいし、改憲派を親米とも決めつけないでほしいと思う。

もう1つ、佐伯啓思氏の日米同盟の意味、これは親米改憲と反米護憲とも関係がある。佐伯氏は私が滋賀大生の時、土曜日に講義を持っていた。土曜日だったので、1度も講義は聞いたことがないが、本は1冊買った。心に響く言葉がちりばめられていた。

「安倍首相が日米同盟の基礎は、日米同盟の価値観の共有にある、と述べているが、本当にそうであろうか」と佐伯氏は疑問を呈している。

日本国民と米国民の民主主義という価値観の共有はできていると思う。民主主義とは価値観の多様性を大事にし、言論の自由・行動の自由を保障し、人権を守るという日本国憲法に書いている通りの民主主義である。

しかしながら、本当の意味で民主主義を守ってこなかったのは、むしろ米国の方だと日本人が気付き始めた。

民主主義という米国の価値観は大事にしたいと多くの日本人は思っています。民主主義を大事にする米国人と共闘したいと私たち護憲派は考えています。一方で改憲派は保守層に多い。彼らは本当に米国型の民主主義を理解しているのだろうかと私たち護憲派は思っているし、米国も古い型の日本の保守層を信用していない。

「アメリカの価値を守るためには先制攻撃も辞さない」そういうアメリカ軍の価値観に不安を感じて、私たち護憲派は憲法を守ろうとしているのです。それは本当の民主主義だろうか、多様性を無視した民主主義はあるのだろうか。価値ではなく、利益と置き換えた方が正確ではないだろうか。

誰もが感じている通り、中国と米国は似ている。外観、つまり方法が違うだけだと思っている。米国の方がより巧妙で民主的に見えるだけだと思っている。そんな世界で日本が生き抜くには軍事力に頼るべきでないという考え方をしているのが護憲派です。

よく政府は法治国家が日本と米国で、中国は法治国家ではないような言い方をする。しかし、それは50歩・100歩、日本も米国もそう言う資格があるとは言い難い。米国の法律は抜け穴だらけで、恣意的に運用される。例えばサッカー連盟の汚職事件にしても、何十年も放置しておいて、なぜ今さらと思う。適当な時期に適当に運用されると考えても不思議はない。日本の集団的自衛権は、法律学者が憲法違反と言っても納得しない。

このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク livedoorクリップ Yahoo!ブックマークに登録

タグ

2015年6月5日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:ブログ

トラックバック&コメント

この投稿のトラックバックURL:

コメントをどうぞ

このページの先頭へ