軍人は政治にかかわらず
一昨日の旅行で、バスの中から讃岐富士が見事に見えました。
今日は図書館で借りてきた、海軍将校たちの太平洋戦争、手嶋泰伸、2014年8月発行、を読みました。
海軍にとって、国力の問題からアメリカとの戦争が困難であることは、火を見るよりも明らかであった。だが、万一戦争が起きれば、遅滞なく軍事行動を実行する責任も海軍にはある。何か戦争に消極的な発言をして、もし物資の割り当てでも減少してしまえば、万一の際の責任が全うできなくなってしまうので、軽々しく万一の備えを疎かにさせるような口実を与えることもできない。こうした執行責任の生み出すジレンマによって及川は海軍の考えを周囲にストレートに表明できなかったのであった。
海軍だけではなく、陸軍も、外務省も、首相も、同じ考えを持っていたのに、誰も引き返すことはできなかった。同質の集団では、同じ考えしか出てこない。そこに多様性が必要なことがわかる。大日本帝国政府は、異質な人間を全て排除してしまっていたのだから。
大本営が現地の報告を水増しして過大な戦果を挙げたかのように発表したわけではない。むしろ、それは、前線からの報告を無批判に受容し、そのまま発表した結果の「幻の大戦果」であった。
私は、この文章を読んで、東芝の不正会計を連想した。もしかして、東芝は子会社の報告を無批判に受容した結果なのではないかと。
「軍人は政治にかかわらず」という海軍軍人の規範意識があった、と何度も記述している。
しかし、海軍大臣がおり、予算を獲得することが、政治ではないのだろうか。海軍軍人は、政治とは何だと思っているのだろうか。
政治とは、権力・政策・支配・自治にかかわる現象、と調べた辞典には書いてあった。海軍は権力を持っている、自分たちの政策も持っている、人民を支配することだってできる、人民の自治にかかわることもできる、海軍は政治にかかわっていなかったのだろうか。
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2015年9月7日 | コメント/トラックバック(0) |
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