井原聰先生講演会
今日は一宮神社の宵祭り、7時にはオシメ(紙垂)飾りを始めました。白い紙がオシメ(紙垂)です。これを稲の茎で作った縄に挟みます。縄が手に入らなくなり、来年のために残しておくつもりだったのが、来年も手に入るようになったとか。終われば、正月の「どんど焼き」で焼きます。このような風習が残っている所は少なくなったとか。
昼からは市民大学講座に参加しました。少し早めに行ったので、講師の先生の休憩室に押しかけて質問攻めにしました。
講演は「日本人は電気・電力といかに付き合ってきたか」専門は科学史・科学論とか。
探求の歴史、失敗の科学史、法則の発見、など先生の著書に面白そうなのがあります。
明治22年~23年に、初めて直流式の電気が送電されて以来、明治44年には電灯会社が116社、大正14年には738社になり、電灯の普及率も2%から87%になったとか。周波数も50ヘルツから133ヘルツまで様々だったのが、企業統合と共に関東は50ヘルツ、関西は60ヘルツに統合されたのだとか。
送電方法も、最初の直流送電から交流送電、そして現代では直流送電の研究が進んでいるとか。直流送電になれば、関西と関東の垣根が取れるな~と私の感想。
未来の電源については、多様性があった方がよいとか。石炭火力発電について、1970年代にすべて石油に置き換わった。少しでも石炭火力発電を残しておいていたら、石油危機の時、石炭火力発電を始めたとき、新たな技術導入をする必要がなかったのに、と言っていました。
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2015年10月16日 | コメント/トラックバック(0) |
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