教育
ヒョウタンの彫刻、10月5日の写真です。
昨日は午前中洗濯、午後から詩吟に行って、帰りに散髪、夕方も詩吟に行って、風呂に入っておやすみなさい、でした。
今日は午後から、明日から始まる平和展の準備をしました。
学校崩壊、1999年発行、河上亮一氏の本を読んでいます。彼には思春期の性に対する視点が欠けていると思いました。性にふたをしてしまうと、妙な所から妙な形で出てくるのではないかと考えます。二つの少年事件も性という視点から考えると、その異常さを理解する手掛かりになるのではないかと思います。自分自身を知るための教育も必要かと思います。
私は息子の思春期のころ、かなり分厚い大人用の性に関する本を食卓の上に置いておきました。性器のこと、性病のことや体位48手など絵つきで書かれていて、かなり本格的な本でした。それは、いつのまにかなくなっていました。そういう本は図書館にも家庭にもありません。性に関する授業や話題は、なかなかくわしくはできないものです。せめて、学校にそういう本があって、なくなったら黙って補充するくらいの教育はできないだろうかと思います。
息子が中学生のころ、彼女ができて、父親から勉強の邪魔だから何とかしろと言ってきた。私は彼を擁護したが、彼女のことは問い詰めた。転校してきた子で、デートも何回かしたらしい。楽しかったかと問うと、楽しかったと答えた。デート中に暴漢に襲われたらどうするか問うた。答えなかったけれども注意を喚起するという私の意図はわかってくれたと思う。高校生になって、学校が違って、彼女にふられたときいた。彼女の影響でオシャレになった。
河上先生は、教育とは嫌なことでも我慢してやらせることだと考えておられるようだが、私は好きなことやかくれた能力を見つけてやり、それを伸ばしてやることが教育だと思っている。鞭打たずとも、好きなことならば、ほっておいてもがんばってやる。何でもよいから一生懸命にやる姿は美しい。先生は生徒に教えてもらったり、ちょっと助言をするだけでよい。そうすれば教育は楽で楽しいものにならないだろうか。
もう1つ、気をつけねばならないことは、子供の興味はコロコロ変わるということです。それを非難してはならない。いろんなものに手を出しては、ためしているのだと理解すべきです。最初は何をやってもできなかったことが、そのうちできるようになると、根気強く待つ姿勢が必要です。
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2015年11月20日 | コメント/トラックバック(0) |
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