横川信義
3月3日、引田のひな祭りの写真です。
横川信義は私の母の兄です。山城町大野に生まれました。結核で母が死に、父が死んだとき、池田の滝下家に養子として引き取られ、そこから池田中学(今の池田高校)へ通ったそうです。中学3年の時、滝下家の養父が死に、中学卒業後高等師範(今の東京教育大学)へ行ったそうです。戦前は熊本中学で教師をしていましたが、戦後毎日新聞社に入り、英国へ留学だか特派員だか知らないけれども、行っていたそうです。そこで反ユダヤ的な思想を身に付けたと思われます。
昭和40年~50年ごろは毎日英字新聞の論説を書いていました。その伯父がぼやいていました。外国人がいて、伯父が書いた論説を修正するのだという、間違っていないのに、修正するのだと言っていました。その時は黙って聞いていましたが、今になってみると英語の間違いを修正していたのではなく、思想の間違いを修正していたのだと、よくわかる。
伯父の絶頂期のころ、もっと良い会社、もっと給料の良い会社に転職の話があった。伯父は行かないで、奥さんの弟さんが行った。その後、その会社がどうなったのかは知らない。
伯父は最後まで毎日新聞社で職務を全うしたけれども、2人の男の子を失い、妻を失い、財産を失った。年金があったから、不幸な生涯ではなかったが、事件性はなくとも、こういう人生もあるのだということを知ってほしいのです。
そして、私が反ユダヤ的な思想を持つようになったことと、妹の子供に子供ができなかったことと関係があるように思えてなりません。
彼らは思想と遺伝の関係を、男性の思想は男性に遺伝し、女性の思想は女性に遺伝すると考えているように思います。
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2016年3月12日 | コメント/トラックバック(0) |
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