ダラエ・ヌールへの道
まだ自宅の藤の木は芽吹いていません。
1993年初版、2002年第4版発行の「ダラエ・ヌールへの道」中村哲著の本を読み返しました。ずいぶん前に買っていたものです。
アフガニスタン戦争の下で医療活動をした体験を書いています。
バタフライという蝶の形をしたプラスチック製のおもちゃのような地雷があるという。
「私はこのような爆発物を考案した人間と会ってみたい。いや考案したのは人間ではなかろう」と言っていますよ。
「我々は自分の素朴な感性を摩滅させ、得体のしれぬ情報で踊らされる仮構に生きているのか」それが戦争というものだとか。
「丸腰の安全保障が」がありうるか、結論から言うと、現地では非武装がもっとも安価で強力な武器だとか。
武器で自分が守られたという体験はほとんど無い。無用な過剰防衛はさらに敵の過剰防衛を生み、果てしなく敵意・対立がエスカレートしてゆく様は、このダラエ・ヌール渓谷でもあらわに観察される。
9.11の後の米国のアフガニスタン戦争下で、まだペシャワール会は継続しているのかと調べてみた。まだ頑張っていたことに驚いた。2016年の中村医師による講演も聴いた。ダラエ・ヌールが荒地から緑の渓谷に変わったのだとか。
日本がいつか、ベネズエラのようになった時、助けてくれるかもしれませんね。他人事と考えずに、ベネズエラの状況をしっかりと取材しておいてほしいですね。
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2019年3月15日 | コメント/トラックバック(0) |
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